今年は年頭に際して、例年と違うある思いがある。
木ノ脇のことをざっくりと「現代音楽のスペシャリスト」と言った言葉で理解している人は別だけれど、僕の周りに居て、もう少し詳しく、人としても音楽家としても木ノ脇を知る人、あるいは実際「現代音楽」の創作と演奏の場にいる人たちから見た現在の僕の姿は、
「現代音楽の演奏に対して、それほど前のめりなわけではなく、マルチにいろんなところとかかわって演奏活動してる」
というようなイメージが平均的なところかな、と思う。「好きなことしかやらないから」と思ってる人もいるかもしれない。
若い時から、どんな演奏の話が来ても「No」を言わない、というのが僕のやり方で、「仕事」としての演奏を完遂し、相手や聴き手を納得させてみせる、というところに自分のプレーヤーとしての矜持も、音楽家としての次元の高い複雑な喜びも込めようとしていたつもりである。
そしてフリーのプレーヤーとしてのそういうスタンスは間違っていないと今でも思うのである。
ただ、学校を出たばかりで、経験の浅い僕の主な顔は
「同世代の作曲家たちのプレーヤー」というもので、自分でも当面はそれでやっていこうと思っていたのだった。
幾つかの賞をもらって幾つかの、作曲家たちを巻き込んだ演奏会の企画をやらせてもらったあと、出光音楽賞とアリオン音楽賞という大きな賞をもらって、その頃から「現代音楽」とは一線を画すような演奏の仕事も入るようになった。(アンサンブルノマドが始まったのもちょうどこの頃)
この頃で現在の自分のスタンスは決まってしまったんじゃないかと思われる。
頼まれるままに片っ端にやっていた現代音楽の(それも「初演」が多かった)「玉石混交」さにも少し疲れが出てきて、そういう僕の仕事のやり方をやんわりと諌める人もいたりしたので、余計「距離を取る」ほうに拍車がかかってしまったような気がする。
一方で「現代音楽」とは別の面白そうな話も入るようになってきてしまったから。
しかし「片っ端」がいやなら、情報を集めて自分で納得がいく選曲をして演奏することだってできたはずだった。
作曲家たちを刺激してリードするほどのプレーヤー側の「現代音楽の旗手」としての木ノ脇の姿を期待してた人も結構いたのである。
まあ、そういう「レッテル」がいやだった、というのも多分にあった。若いと余計に。
「今年の抱負」それは20代で学校出たばかりだった自分の、(それはだいたい90年代後半くらいということになる)
「新しい作品を積極的に、面白く次元の高い演奏で紹介するプレーヤー」というあり方を復権するということだ。
こういう風に考えるきっかけになったのは若い世代の二人のプレーヤー。ギターの山田岳さんとチェロの山澤 慧さんがきっかけだと思う。
山澤さんは去年彼の独奏チェロの演奏会のシリーズのために新しい曲を作曲させてもらったし、山田さんはノマドでも、また個人的にも共演歴のある、近しいプレーヤー。
彼らは非常に前のめりに新しい作品を紹介する仕事をしていて、90年代にはああいうタイプのプレーヤーはまだいなかったんじゃないかと思われる。
彼らに学びつつ、さらに自分の経験も糧にして新しいことができるかも。
と思うのである。
小泉浩さんが日本のフルートの現代作品を取りまとめた演奏会のシリーズをバリオホールで始めたのは今の僕よりずっと年上だったんじゃないだろうか?
というわけで、去年ついに50歳に到達してしまった自分でも、まだ新しい顔を見せることが出来るかもしれない。
手始めに今年のどこかで、まずは90年代にやっていたリパートリーを中心にした演奏会をやろうと思う。当時はうんざりして「もう別のことをやらなきゃ」と思ったりもしたけど、今はまた新しい聴き手だっているのである。
これはずっと自分の中でくすぶってたことでもあるんだけど、昨年末、昔からの友人と会って話して、整理がついたことでもあるのである。
というわけで今年以降の木ノ脇を刮目して見よ!
なんてね。