10月16日、23日のソロコンサート「The Other Flute」のチラシにのせた文章を今一度ここにも紹介しておきたい。

「原始人が空へ放り投げた骨が宇宙船に変わっても、未知のものへの畏れと好奇心は変わらない。

人類は「老い」を迎えたか?
それともまだ幼年期を出ないのか?

骨で作られた最初のフルートから数万年経っても、管に穴を穿つシンプルな基本構造は変わらない。

洞窟の中で骨に息を吹き込んでいた原始人は、いまや練習室に閉じこもる孤独なフルート奏者。

音楽は「老い」を迎えたか?
まだ幼年期を出ないか?

これまで「フルートによる独奏」は最小の演奏形態であり、変化し続ける外の世界を映すミクロコスモスであった。

一本の線が描く抽象、一本の線が暗示する全世界。


プログラムは作曲家たちが様々な実験を繰り返した20世紀から21世紀へ。

かつて恐る恐る骨のフルートに吹き込んでいた「畏れ」と「好奇心」の息吹きはまだ失われていないか? 現代の工業の粋を集めた金属の管体からは、数万年前の洞窟を満たしたささやきや叫びが変わらぬ強度で響いてくるか?

アンサンブルノマドのフルーティスト、木ノ脇道元がプレーヤー兼ガイドを務め、「The Other Flute」(もう一つのフルート)へいざなう、一本の線が啓く旅 」

このチラシで、木ノ脇自身の新曲は「Entering into the other flute」という曲名でアナウンスされているけれど、何度も作り直し、呻吟の末、タイトルも二転三転して「A Bone Flute」というものに落ち着きそうである。

つまり「骨の笛」。

上記の文章と響き合うような格好にした訳だけど、それだけでもない。

演奏するにしろ作曲するにしろ「制約」という事にとても興味を惹かれてしまう。 例えばヴァレーズの「Density21.5」なら譜面通りにやるのはもちろん、ヴィブラート一切なし、テンポは絶対動かさない、という「制約」の中でやりたくなる。

フルート一本だけの演奏で、とてつもなく大きなエネルギーを表現しているように思えるこの曲は、音色やニュアンスの落差のみで聴く人の想像力に訴えてこそ、高温の炉の中に入れられて様々な色の光を放っている金属の塊みたいな「危険を孕んだ凄み」みたいなのを表現できると思うからである。

同じように、フルートを「二つの音しか出せない原始的な骨の笛」に見立てて、作曲してみる。

宗教的か、あるいは民族的な何らかの理由により、二つの音をレガートでつなぐようなことも禁じ手なのである。

そういう制約があっても、なんとかして多彩で豊かな響きを楽器から引き出そうとするのが、音楽における人間の変らぬ営みというもんではないだろうか?

というのが、今回の作曲のテーマともいえる。

ということで、この後に及んで、まだ新曲に手を入れてる最中でございます。 暖かく見守って頂きたいですw