水の寓話 – 詩のこと

実を言うと「水」をモチーフにしたコンセプチュアルな演奏会をやったのは今回がはじめてというわけではない。

2018年には神奈川県の大磯にあるMKホールというところで「水のいのち」というタイトルの演奏会をやったことがあった。 編成も内容も違っていたけど、終わってからやっぱり同じ「水」というテーマでまた形を変えて何か作ってみたい、と強く思ったのを覚えている。

以下、今回のプログラム前文から抜粋

「「水」ほど我々の生活に不可欠でなお、美しいものがあるだろうか? 水に触らない日はなく、「音」を聴かない日もないのである。」

そう、そして「水」ほどイメージを喚起し触発するものはなく、さらにタイトルの示す通り、我々の生活を支配するあらゆる摂理を思い出させる寓意に満ち満ちているものもないのである。

2018年「水のいのち」のときは滝沢華子さんという女優さんが参加してくれて詩の朗読をしてくれた。 衣装もそれなりにこだわって「ウンディーネ(あるいはオンディーヌ)」を彷彿とさせるようなものを用意したのだった。

今回はもっとコンパクトなチームだったので朗読は自分と石田彩子さんで分担してやることにした。

今回使用したテキストは、

・大岡信の連作詩「水の生理」から抜粋
・吉原幸子の連作詩「オンディーヌ」から抜粋
・アントニオ・タブッキ「夢の中の夢」から抜粋
・源氏物語「浮舟」から抜粋

プログラムの中核になっているのがライネッケの「Undine」で、ドビュッシーの「Ondine」があり増田達斗さん作曲の「オンディーヌ」と、「水の精」をめぐるいくつものバリエーションのような形になってるから、朗読に使うテキストにフーケーやジャン・ジロドゥを使うのはちょっとひねりが足りないように感じて、ジャン・ジロドゥからのさらなるエコーである吉原幸子さんの詩を使うことにした。

「曲と演奏が全てを語らなければならない」というのがたてまえではあるんだけど、抽象的な言葉が音楽と補完的に働きあって、イメージの方向づけをしてくれるのなら、今回のようなやり方も間違ってはいないと思う。
は後になって気が付いたんだけど、ステージの後ろのガラス壁面からの眺めが、遠く海を望む風景だったらしいことも効果的だったことでしょう。

おまけその1
演奏会の次の日、観に行った映画がやはり偶然「水」に関係するものだった。 昨年亡くなったモダンアートの巨匠クリストが生前最後に挑んだ巨大プロジェクトを追うドキュメンタリー。 スイスにある大きな湖に数キロメートルにわたる巨大な浮き桟橋を設置し、人々に「水の上を歩く」体験をさせるというもの。 クリストの「ヴァーチャルではダメなんだ。本物のスイスの冷たい空気の中、本物の水を足下に感じながら渡っていく経験を共有したいんだよ」という言葉が、現在の状況とも響きあって感動的でした。

おまけその2
演奏会のお客さんの中に大学時代、大岡信さんの講義を受けていたという人がいて、講義の内容自体もすごく面白かったことに加えて、毎回大岡信さん自身披露する朗読が、えも言えず素晴らしかったことを教えてくれたのでした。

聴いてみたかったもんです。

「水の寓話」にまつわるよもやま話はこれにて。