川島くんのこと
去年、このシリーズの3回目にあたる「双子座3重奏団」と川島くんのコラボレーションを興味深く聴いた。
「双子座」は、なんと言ってもバリトンの松平さんの歌が全体のトーンを作っていて、彼がナンセンスな言葉を発し続けるうち、ピアノの中川さんとトランペットの曽我部さんも触発されたように言葉を発しはじめて・・・
というふうに川島くんは演奏会全体をデザインしていた様に思う。
面白かったのは双子座の3人それぞれ、川島くんの音楽へ向かう姿勢が微妙に違って見えた事である。 例えば、松平さんは、川島君の考えるC級、というかナンセンスというか、とにかく「くだらない」音楽的ギャグを、これ以上ないくらい一生懸命、ある意味では「露悪的に」やってみせる(川島作品に限らず、これは松平さんという人の持っている固有のニュアンスともいえるんだけど)。
そんなふうに前のめりに、ことさら「さむく」振舞って見せる事で何か表現の新しい地平が見えて来るんじゃないか、と期待してでもいるかのように。
かたやピアノの中川さんは反対に、悪ノリがどこまで突っ走っても独特の繊細さと流麗なピアニズムを失わないまま、川島くんの音楽に寄り添い続けるしなやかさと洗練が特徴的。 極めて積極的なスタンスを保ってはいるんだけど。
そして淡々とした態度の超絶技巧的トランペットでそこに色を添える曽我部さんというふうに。
これはもちろん「双子座」の3人が元々持っていたチームとしての「個性」だったんだけど、川島くんの作品と化学変化を起こすことで爆発的にその個性が際立った演奏会だった。
こんなふうに自分が受け止めたのは、川島くんとの付き合いが長いゆえの余裕ある鑑賞態度からなのか、あるいは川島くんの作品がこの20数年ほどの間に周知されて、さまざまにコントラストに富んだ演奏解釈を許すほど懐の深い音楽に育ったからなのか?
そして自分が24年ぶりに彼とのコラボレーションに挑めば、双子座とはまた違った「現在の自分」なりの色が炙り出されるものなんだろうか?
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四半世紀ほど前、僕と川島くんは新進のプレーヤーと作曲家という存在だった。
僕は多くの若きプレーヤーと同じく、ゆく末に思い悩み、しかし当面は現代音楽の世界で作曲家たちと聴きてたちを納得させるような仕事をする、というのが目標だった。 川島くんはそんな当時、最も密にコラボレーションしていた作曲家の一人で、「演じる音楽」という独自のテーマを掲げて道なき荒野を拓こうとしていた。
若く、また未熟な僕はクラシック産業が暗黙に押し付けて来る紋切り型な美意識の圧力に反抗しつつ、誰もまだ聴いた事がない音楽を形にする仕事に明け暮れながら一方で、依然として「ゲンダイオンガク」と作曲家たちは謎のままだった。
プレーヤー同士の間の気楽な親近感と違い、作曲家たちと自分のあいだには何という距離がある事だろうか!
しかしプレーヤーとして新しい次元を目指すには、この距離を埋める努力をするしかなく、このあと自分自身で作曲を試すようになるまで、この「距離」は硬いしこりみたいな違和感として自分の中にあり、そのしこりと最も激しく抗っていたのが、川島くんと最も密な共同作業をしていた95年〜99年くらいの時期だったんじゃないかと思い出すのである。
今回の演奏会とプログラム的にも響き合っている、96年「Dogen Faetures 川島素晴」では、「視覚リズム法」と「Invention」という二つの作品で、楽器を用いない、身体と声を使った作品に挑戦した。
人によってはこれは、いかにも奇を衒ったパフォーマンスに見えたかもしれないが、自分としては「フルート」という使い慣れた道具を離れたところで、川島素晴という作曲家が提唱する「演じる音楽」というテーマの「核」を、身をもって表現できるか、少しでも「作曲家との距離」を縮めようとする前のめりな努力だったのである。
(最近、チェロの山澤慧さんがこの同じ「視覚リズム法」の演奏に挑んだり、ギターの山田岳さんがCDに声だけのパフォーマンス作品を収録したりしてるのを聴いて、単純に「すごいなあ」なんて感心してたんだけど、案外同じようなモチベーションでやってるのかもしれない)
これは「作りなおす」という感覚に通じている。 子供時代から訓練して身につけたクラシック的な技術や身ぶりを削ぎ落としたとき、自分の身体と心に何が残っているか?
やり慣れた美意識に安住した途端に老化が始まるんじゃないのか?
川島くんが自身のテーマ「演じる音楽」を説明する際よく使う「異化」という言葉を拡大解釈すると、やり慣れた体の感覚を「作りなおす」試み、と云うこともできるかもしれない。
25年前、目新しいテーマだったものが、本質的なものである事がはっきりしてきた現在、再び濃い共同作業ができるのが楽しみである。
「演じる音楽」とは、音楽が本来持つ「若々しさ」へ通じ得るバイパスだと考えるのであるならば。