そして恐らくは監督のハンドカメラだけで撮ってるのだけど、本物の出稼ぎ労働者である彼らが、カメラの前であれだけあけすけに、饒舌に、ありのままに居られるのは彼らに寄り添う監督への信頼があって撮影を成立させたからなのかな、と思いました。
経済的に発展する中国のパワーの源を見るようなパワフルな作品でもありました。
住居になってる2階から外階段を下に降りていく労働者を後ろから追うカメラが表の通りに振られると、1階が工場で2階から上が住み込みの住居になってるという似たような建物が地平線の向こうまで続く光景に言葉を失うっつーね。
*この映画、素晴らしい作品でしたが中国本国では見ることができません。
「ブラインド・マッサージ」のロウ・イエ監督も上映禁止。
せっかく力のあるクリエーターを抱えながら国に都合の悪いことは見せない大国の強権的な側面ですね。
しかしこの「苦い銭」に出てくるような愛すべき庶民たちの悲哀でむせかえっているのもまた中国という大地なんですね。
2月19日
「サファリ」
「ジャングル大帝」で鼻ヒゲに葉巻くわえたおっさん、とかヘミングウェイの小説に出てくるような「ハンティング」の話。
具体的には野生の動物を放し飼いにしている「サファリパーク」で、金持ちの白人が動物の種類によってまちまちに違う金額を払って行う「トロフィーハンティング」の実態を追う、というもの。
構成は単純で、実際のハンティングの映像と、インタビュー。
しかもインタビューは実際のハンターたち、サファリのオーナーなど、動物を殺すことを肯定する側のみで、「動物愛護」だとか「自然保護」など反対陣営のインタビューは一切なし。
でもそれが絶妙。
「法を犯しているわけではない」とか「結局は生態系を活性化し、繁殖力を強めている」というような正当化の言葉を口にするハンターたちのインタビューの合間には、淡々と撃ち殺され、皮を剥がれて解体される動物たちの映像が映されて、人間の傲慢さグロテスクさが透けて見えてくるって、まあとても意地悪な仕掛けではあるんだけど。
キリンの解体シーンが圧巻でしたね。
狩った獲物を下働きの黒人たちが解体するだけのシンプルな撮影なのに重層的なメッセージになってるという仕掛け。
「苦い銭」とはまた違った切り口の優れたドキュメンタリーでした。
*「苦い銭」と同じ日に同じ映画館で見たんですね。
映画館の大きいスクリーンで大きな動物が殺されるのを見るのはショッキングな経験でした。
「羊たちの沈黙」のレクター博士はクラリス捜査官への手紙に「人類はいまだ野蛮さを脱してはいないのだ」という意味のことを書きますが、ここにもレクター博士が間違ってはいないことを証明する人たちがいますね。
3月2日
「シェイプ・オブ・ウォーター」
封切り日に新しい映画観に行くなんて、初めてじゃないでしょうか。
ギレルモ・デル・トロ監督、2007年の「パンズ・ラビリンス」が強い印象ですが、いろんな意味で似たところのある作品でした。「パンズ・ラビリンス」でも「シェイプ・オブ・ウォーター」でも主役は異形のモンスターと非力なヒロインですが、「パンズ・ラビリンス」ではフランコ独裁政権が、そしてこの「シェイプ・オブ・ウォーター」では60年代の東西冷戦が大きな舞台設定として使われてます。
その残酷で危険な現実からの救済、という1点に「ダークファンタジー」って手法が拠って立つ根拠を集中させてるところがデル・トロ監督のスタイルなんだな、と改めて感じました。
そういう意味ではどっちの映画にも敵役で、すげえいやなサディスト野郎が出てくるんですけど、作品のリアリティを担保するためにはものすごく大事な役なんだな、と思いましたね。
*アカデミー作品賞受賞作。デル・トロ監督の「パシフィックリム」や「ヘルボーイ」のような作品は木ノ脇にとっては優先順位が高くないんだけど、「パンズ・ラビリンス」と同じく、現実の時代背景を使って大きな作り話を作る、というところに興味を感じたんですね。
日本庭園の造園術の中には、あえて築山をせずに庭園の背景にある現実の山を築山に見立てる「借景」という技法がありますね。
それに似てる気がするのです。
3月4日
「しあわせの絵の具」
巷ではアカデミー賞の作品賞が「スリービルボード」と「シェイプ・オブ・ウォーター」の一騎打ちになるのでは、というような話題で持ちきりのようですな。
僕としては賞レースに絡まない作品の方が好みだったりするので、どちらでもいいのですが、たまたま最近見た2本なので、物好きで自分勝手な1票を、となった場合「スリー・ビルボード」に分があるように思いますね。
脚本と主役3人のキャスティングと演技が完璧だったと思います。加えて「分断の時代」といえる今の時代への強い強いメッセージになってるところが素晴らしかったと思います。
「シェイプ・オブ・ウォーター」も良かったですけど、元来好みが分かれそうな作品を高い技術でカバーしている、というふうに僕は見ました。
で、その「シェイプ・オブ・ウォーター」で主演のサリー・ホーキンスがやはり主演してる「しあわせの絵の具」という映画をBUNKAMURAで見たのですね、都内で仕事の合間にごっそり時間空いたので。
ほとんど飛び込みで観た、という感じだったのですが意外にも良かったです!
カナダの実在の画家モード・ルイスをサリー・ホーキンスが演じています。
「シェイプ・オブ・ウォーター」と違ってギミックに一切頼らず、イーサン・ホークとの演技のアンサンブルのみで孤独な夫婦の歳月を紡いでいく、素晴らしい仕事でした。
イーサン・ホークもあんな良い役者とは知らなかった。
得した感じでした。
*サリー・ホーキンス旬なんですね。独特の雰囲気の女優さんですが。
カナダの自然が美しい映画でもありました。
前にこのブログで「レイフ・ファインズが演じるヒースクリフ(嵐が丘)は野卑さと哀愁に欠けてていまいち」みたいにディスってしまったことがありましたが、この「幸せの絵の具」のイーサン・ホークならヒースクリフ、バッチリハマる気がします。
もうひとり「スリービルボード」の暴力警官サム・ロックウェルを第2候補に据えておきたいと思います。
3月18日
「デトロイト」
21日「φ」が終わるまでは無理かと思ったけど、我慢できず「デトロイト」を観る。
凄まじいまでの差別と暴力と機能しない司法。
どこまでも胸くそ悪い現実。
ラストで響くラリーの、胸を締め付けるような歌声だけが
唯一の癒しでしたが、無力感に言葉を失う響きでもありました。
「ハート・ロッカー」が強力だったキャスリーン・ビグロー監督。
「暴力の描き方に、男性監督とは違う徹底さがある」なんて説が当時あって、「んなまさか」と思ってましたが、「デトロイト」では中盤40分に渡る暴力的尋問のシーンがあり、複雑な状況を丁寧に丁寧に再現することで少しずつリアルさを積み重ねていっている、というスタイルなんだな、と「ハート・ロッカー」も思い出しながら感じました。
*映画の予告ではスターウォーズシリーズで一躍セレブとなったジョン・ボイエガが主役級で大きく紹介されてますが、この作品の真の主役は差別主義者の暴力警官を演じたウィル・ポールターでしょう。
インタビューで彼は「残念ながら現在もこういう人たちはいる。そしてこういう人たちの言動を決定づけているのは憎しみではなくて無知なんだよ。
この役を演じるにあたってはその「無知さ」ということを大きなヒントにした」というようなことを語っていて、映画の中ではただただイヤなサディスト野郎にしか見えないんだけど、ほんとに知的な人じゃないと出来ない仕事だったんだな、と感動しました。
4月19日
「聖なるもの」
前に見た「デトロイト」は3月18日だったからちょうど1ヶ月空いたことになる。
そんなに映画見なかったことあっただろうか・・・。
「1ヶ月ぶりにふさわしい映画」と定めた狙いは、なかなか正確だったと思うな。
いかにもイケてない大学生が所属する映画研究会の都市伝説的怪談、こじらせた脚本、仲間との不和、滞る撮影、ブレブレのハンドカメラ映像。
下手をすると退屈になりそうなこういった素材をスタイリッシュに、コラージュ的にに編集して、数多のフイルムメーカー達への応援歌のような映画に上手く仕上げていました。
楽しかったです。
*監督の岩切一空、「映像作家」って肩書の方がしっくりきそうな感じ。
実験的だけどポップで女の子たちが可愛くて、ってテイスト。
これからどんな映画作るのか楽しみですね。
4月23日
「ニッポン国VS泉南石綿村」
「ゆきゆきて神軍」の原一男監督の新境地。
休憩挟んで4時間弱、被写体のほとんどは高齢の公害裁判原告たちなんだけど、最期までぐいぐい引き込まれる力強い映画でした。
西日本全域から職を求めて大阪府泉南地区のアスベスト工場へ働きに来た、かつての集団就職者たち。
吸い込んだアスベストの粉塵は20年の潜伏期を経て発病、闘病生活に苦しむ彼らは国を相手取り、弁護士、市民運動家らとタッグを組んで8年半にも及ぶ裁判闘争をすることになる、その闘いの記録。
原一男監督はニコ生動画で「シネマ塾」って番組をやっていて、話題作の監督を呼んではインタビューしてるんだけど、原監督は誰に対してもいつも柔らかくやさしく懐が広く、繊細でとても鋭い、というところに見ていて感激してしまうのだけど、そういう監督の性格がよく出ている映画でした。
と、いうよりそういう人でないと撮り得ない作品でしたね。
*ネット番組「シネマ塾」のホストぶりからも、また「アヒルの子」や「恋とボルバキア」の小野さやか監督との師弟ぶりということからも、完全に原監督の人柄にやられてしまっています。
「ゆきゆきて神軍」の奥崎謙三や「極私的エロス」の武田美由紀のようなエキセントリックな主人公と違って、この映画の原告団の面々はごく普通の人たちでどちらかというと引っ込み思案で奥ゆかしい。
腰の重い彼らに対して監督は「なぜもっと怒らない」とじれったさを隠さない。
その彼らにもやっと火がついて、長い法廷闘争を戦い抜き勝訴し、大阪を塩崎厚労相(当時)が訪問し謝罪した時に、原告団代表の佐藤美代子さんが感激して泣きながら「大臣ありがとうございます、ありがとうございます」と頭を下げてしまう姿が、結局のところ彼らの善良さだと思ったし、監督は何を思ったのかな、と思いました。
4月25日
ミヒャエル・ハネケ監督「ハッピーエンド」
フランスの会社経営者の裕福な一族。
家族のそれぞれが抱える闇。
ラスト近くまで捉えどころなく、脈絡なく、繋がりもないように見えるそれぞれの「闇」が散文的に無機質に淡々と映される(焦点が当たるべき出来事も極端に引いたショットで撮影する手法が多用されてるのも、見てる人を煙に巻く意図があるのではないだろうか)
そしてラストシーンですべてが瓦解するようにつながるというね。
それにしても「ハッピーエンド」とはなんという皮肉なタイトル!
「家族の闇」を描いたフランス発の映画というと去年見たグザビエ・ドラン「たかが世界の終わり」を思い出すけど、この「ハッピーエンド」の方が脚本といい、人物描写といい、演出や編集といい、はるかにマスターピースでした。
この映画と響きあうのは近く公開の是枝監督「万引き家族」
に、なりそうな気がします。
*結果的に言うと「万引き家族」とは似ても似つかない作品でしたね。
この時は「貧困」と「物質的な豊かさ」の対立軸が興味深いと思ったのかもしれませんが。
共通点があるとしたら力のある俳優たちのアンサンブル、ってことでしょうか。
この「ハッピーエンド」では実質一族を束ねている長女をイザベル・ユペールが演じていますがラストシーン、スマホのカメラのファインダー越しの振り向きざまの一瞥、という一瞬の演技ですべてを物語ってしまう演技が印象的でした。
5月1日
今日2本
「オー・ルーシー!」
2本目の「サラバ静寂」までのつなぎのつもりだったんだけどこちらはこちらで侮れなかった。
予告編やチラシのイメージではコメディ風の映画を想像してしまうけど、実際はかなりビターな大人のドラマ。
閉塞しきった今の社会へのメッセージでもある。
何と言っても寺島しのぶのリアリティーが要でした。
*ジョシュ・ハートネットのダメ男ぶりと彼に振り回されるダメ女たちが見ものでしたね。
役所広司は全く同じ時期に「元警察官」って全く同じ設定ながら、性格は真逆の「孤狼の血」って映画に出てるのがおかしいですな。
5月1日
「サラバ静寂」
音楽を始め全ての娯楽が禁じられた世界、という設定の寓話でありファンタジー。
ファンタジーとはいえ、作品の成立を担保するだけのリアリティがいると思うのだけど、一つは「音楽のない世界で生まれて初めて音楽を聴く人がどのような反応をするのか」というのともうひとつは「そのような抑圧的な法律を取り締まるものがどれだけ残忍になるか」ということで、捜査の段階で簡単に殺人を犯すサディスティックな暴力警官を斎藤工が体当たりで演じてました(この人はどんな仕事も極端にストイックにやりきるところが魅力ですな)
始めて音楽に触れるトキオとミズトがはまるのがノイズ系の音楽ってところはいかにも映画的な設定。
でも実際は最初に触れる音楽が違えば、状況も変わってくるんじゃないでしょうか?
*特殊な設定のドラマでしたね。
だから見たかったんですけど。
音楽が禁じられた世界で暴力警官が愛するものはキャンディーとセックス。
つまり「砂糖」と「性欲」だけが合法的に脳に快楽を与えてくれるものになってしまう。
なんというピュアなディストピア!
5月7日
「心と体と」
最近の新しい映画共通のモチーフがあるとしたら「鹿」ではないでしょうか。
「オー・ルーシー!」にも、そしてあの「スリービルボード」にも印象的な鹿のシーンがあったし、まだ未見ながら「聖なる鹿殺し」とかね。
この「心と体と」では接点のないはずの男女が警察の捜査の一環として行われる心理分析で全く同じ夢ー「2頭の鹿になって森を逍遥する」ーを見ていることが明らかになる、というのが物語の発端。
初老の男と若い女性ー美しいが極度の潔癖症と、浮世離れした言動で周りから浮きまくるマーリアと、食肉加工工場で彼女の上司で片腕に障害を抱えるエンドレ。
恋愛沙汰とは距離がありそうな二人の恋。
ある「音楽」にズドンと射抜かれて、危うさを孕んだ直情径行さで衝動的な行為に至る後半のマーリアの一途さに思わず引き込まれてしまいました。
とても美しい映画でした。
「清冽」というような。
主演の二人、まるで2頭の鹿のように見えてきました。
*「鹿」がモチーフになり得るのは「聖なるもの」「不可侵なもの」として、ってことでしょうか。
「もののけ姫」にも神の化身としての鹿が出てきます。
この「心と体と」においては「無垢なるもの」って意味合いが強い気がします。
マーリアは周りの人間が全く理解できないくらい「無垢」なんですね。
そして彼女の年老いた恋人となるエンドレは俗世間の苦労や嘘にまみれきってるんですね。
二人のコントラストが映画を美しくしたんだと思います。
5月16日
「ザ・スクエア 思いやりの聖域」
ある美術館での実験的な展示が元で繰り広げられる騒動。
人間の傲慢と欺瞞。
現代社会を複雑に横断する知性と野生。
非常に刺激的で、知的で皮肉で考えさせる映画でした。
映像の効果にも意識的でイメージを喚起する力に満ちてました。
猿人間オレグの衝撃のパフォーマンスはその場にいても傍観者になってしまう現代人の姿を、さらに映画のフレームを通して見せる、という2重構造の実験にする試みかと感じましたです。
*この「ザ・スクエア」で見せ場のひとつとして用意されてる、美術館の晩餐会の余興の、猿人間オレグによるパフォーマンス。
演じてるのはテリー・ノタリーというシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーをへて俳優、動作トレーナー、振付家という変わった経歴の持ち主。
「猿の惑星」などのモーションキャプチャーも担当。
美術館主催の晩餐会という安全を確信していいようなシチュエーションでの蛮行、という映画そのもののテーマにも通じてる意図のシーン。
これが際立って印象的なのはテリー・ノタリーの野獣ぶりのリアリティー。
やたらに荒ぶったり吠えたりしないかわりに、ちょっとした動作一つで人間の知性が通用しない野生動物を彷彿とさせてしまう。
ときに笑いさえする。
野獣特有の獰猛な笑み。
息をひそめる招待客。
テリー・ノタリーが気になって調べてみたら、この場面が嘘みたいな優しげで知的な笑顔の写真が出てきました。
5月23日
「イカリエーXB1」
1963年、いまだ社会主義体制にあったチェコで制作されたSF映画。
生命体探索の旅路でアルファ・ケンタウリに向かう宇宙船イカリエーXB1。
乗組員が死に絶えた未知の宇宙船を発見するが、やがて自分たちも危機にさらされることになり・・
10月にこの映画の原作者スタニスラフ・レムの「ソラリス」を藤倉大さんがオペラ化した作品をアンサンブルノマドで日本初演することになってるのですね。
それの先触れ、ということでも良かったです。
*SF映画の系譜ということを探る意味でも興味深い作品ですが、乗組員たちの人間関係など社会主義体制下での映画なんだなあ、ということを強く感じた作品でした。
5月26日
「海を駆ける」
去年「淵に立つ」を見て衝撃を受け、若き深田晃司監督がすでに次回作をジャカルタで制作中であるというニュースを知ってからずっと待ってた「海を駆ける」
「淵に立つ」とは全然違う作品ですが、やはり深田監督が力のあるクリエーターだってことを存分に知らしめてくれる作品でした。
ある日浜辺に打ち上げられた不思議な力を持つ男。
命を与えもし、一方で簡単に奪いもする「海」そのもののような男。
素晴らしいラストシーンが待ってるのですが、よく考えると非常に危うさをはらんだ奇跡でもあることに気づかされるところに監督の力を感じました。
*今が旬のディーン・フジオカ。実はこれ見るまでよく知らなかったんですがめちゃくちゃイケメンですね。
デビュー当初の草刈正雄みたいな。
でも彼のイケメンぶりに持って行かれないところがさすがの深田監督でした。
戦争や自然災害のような、それのみでも映画の題材になり得るようなモチーフを敬意を失うことなく、いくつもあるモチーフの一つとして使い得る、というのも深田監督の作り手としての力だと思いました。
役者さんでは、影のある女子大生サチコを演じた阿部純子がよかったですね。
5月27日
「犬ケ島」
いや、実に楽しかったです。掛け値なしに。
「どんな幻想的な場面もスペクタクルもCGを使えば出来ないことはないんじゃないの?」
というのが、映像というものに対する現代の人たちが持つある種リアリティーだと思うのだけど、その「思い込み」を逆手にとって「いや、CGだけではこんな感じにはならないよなあ。一体どうやって?」と少しでも考えさせることが出来たら現代の観客との勝負には勝ったと言えるのではないでしょうか?
そういう意味ではコマ撮りのアニメーションを使って独特のあたたかみやグロテスクさやノスタルジックな安っぽさを表現したこの「犬ケ島」には完全にやられてしまいました。
「グロテスクさ」と言いましたが、外国人の目を通して見た「ニッポン」を見せられた時のあの絶妙な居心地悪さみたいな感覚もスパイスとして効いてるのかもしれません。
*外国から見た日本って実際どんなもんだろうと思いますが、それだけは統一した見解を決めるわけにいかない、ニュアンスに富んだ感情なのでしょうね。
ウエス・アンダーソン監督は概ね日本文化に対する愛情でこの作品を作ってるように思えます。
白人種の留学生が危機的状況を救うみたいな設定は結局のところ文化の簒奪じゃないのか?的な批判も少しはあったみたいでしたが、僕が見たところでは「欧米が傲慢に見下す極東の小国のオリエンタリズム」みたいな嫌味な感じはスレスレのところで回避してたと思いましたが、いろんな意見を聞いてみたいところですね。
6月14日
「ファントム・スレッド」
ダニエル・デイ=ルイスの匂い立つような気品と、目にも絢かなオートクチュールドレスの競演とあっては劇場で観ないわけにはいかなかったのである。
天才肌で鋭敏な神経を持ち、病的なまでに完璧主義で妥協ができない仕立て屋のレイノルズは私生活では独身主義を貫く。
彼に見込まれ、ミューズとしてやってくる元ウエイトレスのアルマはなんとか彼との愛を成就させたい。
関係の落とし所がうまくつかめない二人が辿り着くいびつな愛の形。
「ホラー」と紹介している記事も見かけましたが、確かに恐ろしい話でした。
それとオートクチュールドレス、デイ=ルイスの醸すエレガンスとの対比というのがいかにも映画らしいエンターテインメントになってる、って意味では期待通りでした。
しかしデイ=ルイスが引退作にしてしまうほどじゃなかったかなあ。
ダニエル、引退撤回しちまいなよ。
誰も怒んないからさ。
*ヒーローよりも悪役、主役よりも脇が難しいなんて言われますが、「ハンサムな男」の役で映画に出続けるのはさらに難しいんではないでしょうか?
「存在の耐えられない軽さ」やこの「ファントムスレッド」を見るに、ダニエル・デイ=ルイスはハンサムなもて男を演じるのに細心の注意を払って「演じて」いるのを感じます。
普段のデイ=ルイスはどうなのかな、と想像してしまいます。
6月14日
「万引き家族」
作品そのものの評価は置き去りにして、雑音がかまびすしい「万引き家族」ですが、ともあれ僕は見てきました。
「賞をとったからイイ」なんていう気は毛頭ないのですが、それだけの力のある作品だと思いました。
都会の底辺で暮らす「自称」家族たちが、危うさをはらんだ、すさんだやり方ながらそれなりに人間的な絆をつくり、営みを送る前半、家族としていたわり合う姿が現実感を乖離して寓話めいて見えてきたのが、一瞬ピカソの青い絵の中に描かれた貧しい人たちを連想する瞬間がありました。
しかし寓話ではなく十分ありうる話として描かれてる、というところが、この映画にまつわる焦点のすべてだと思いました。
見て確認するしかないです。
*少なくとも、登場する疑似家族たちの生活のマナーの見苦しさを理由に「日本人を貶めている」という批判が的外れなのはちょっと考えればわかる。
不潔で行儀悪いほどリアリティあるわけだから。
そうした難癖とは別に是枝監督が映画業界の中で既にエスタブリッシュメントであり、反権威を気取るのは噴飯ものであるという、全く別の主張もあって考えてしまう。
もちろん作品の持ってる力はそういう批判とは別に考えたいんだけど。
河瀬直美なんかも是枝監督と似たような経歴でアレルギーのある人が結構いて、悪口を聞かされるのでなんとなく敬遠してしまっている。
こんなことではいかん。
なんとか「ビジョン」は見ようと思います。
6月21日
「榎田貿易堂」
出身地の群馬県渋川市の地名を芸名にまでしている渋川清彦さんと、同じ渋川出身の飯塚健監督による地元愛溢れるドラマ。
というのをはるかに超えて、痛みを知る大人の渋い人生ドラマにしてコメディーという風に仕上がってました。
実力派の役者さんたちのアンサンブル、というのも見所でした。
主演の渋川さん、バイプレーヤーとしてここのところは特に新作が目白押し。
「ルームロンダリング」「菊とギロチン」「パンク侍、斬られて候」
「島々清しゃ」で顔を合わせて以来「カッコいい人だなあ」と出演作をチェックしては「面白そうなのばっかり出てるなあ」とさらに感心しつつも見逃してばかりだったので、主演作見れて良かったです。
終盤ある決断をして座り込む主人公を手前に据えて山の中腹から北関東平野を望むパノラマというショットが素晴らしかったですね。
*「獣道」以降売れっ子で出番の多い伊藤沙莉さんをやっと本格的に見ることができたのがよかったですね。